人生のコンパスを手に入れるには
仏教用語に「無明(むみょう)」ということばがあります。
簡単に説明すると無明とは、
真理を知らず、
ただ自分の経験と知識だけを頼りに生きている人の状態のことです。
この無明は、お釈迦様が瞑想中に
「人生における人間の苦しみは、すべてこの無明からはじまる」
と悟ったと言われています。
人は、無明を照らすことで、安心して人生を生きていける。
とってもシンプルな真理です。
ここまで仏教用語で話ましたが、
仏教ではなくヨガ哲学でも同じことを言っています。
(もともと仏教とヨガは出処が同じで、宗教なのが仏教、哲学が土台となっているのがヨがです。)
ヨガ哲学は「目覚めるための知識」と言われています。
つまり
目覚めるための知識を知らずに生きることは、
目覚めていない状態で生きているということ。
エゴの自分だけで生きているということです。
エゴの自分は不足・欠乏・恐怖に基づく性質なので
「もっと欲しい」「私は足りない」「私さえよければ・・・」と煩悩を生み出します。
仏教的に言うと「無明を照らす」
ヨガ哲学的には「目覚めて生きる」
そのためには何をしたらいいのかというと
真理を学び、真理に基づいて生きていくということです。
これまたシンプルです。
シンプルだからこそ、難しくもあります。
私はヨガを続けて10年以上経ち、
ようやく「目覚めて生きる知識」がわかりました。
読んで理解するという感じではなく、腹落ちした感じです。
けれど、まだまだエゴの自分で生きている時間が長くて
「私は何でも分かっている、教えられなくても知っている」
「この人からは何も学ぶことはない」と傲慢になることが多いです。。。
そうすると、必然的に
思い悩み、苦しむことになってます。。。
それでも、私には無明を照らす真理は分かっているので、
振れ幅は大きいけれど、確実に平安に生きる道を歩いている気がします。
エゴの自分も認めながら、本質の自分も確認しながら
ゆっくりと精進していければいいかなと思います。
真理を知らずに生きると、迷います。
知ってしまえば、人生のコンパスが手に入ります。
たまに迷っても、ちゃんと戻れるのだという安心感の中で生きていけます。
そういえば、小学校の卒業記念に担任の先生が
一人一人に色紙をくれたのですが、
私には「勇気をもち 真理を求めて」と書いてくれました。
なんだか小学生女子に贈る言葉としてはどうなんだろう??
真理って何??って
思うような言葉だったのですが、
今となっては、まさに私はそこを求めていた!!という気がしてます。